2008年4月17日木曜日

水平社

おはようございます。ぷーすけです。

今日は、午後から本格的に雨が降るそうです。

昨日は、NHKで、「その時、歴史が動いた」という番組を

見て、いたく感銘を受けました。被差別部落「水平社」の話でした。

ある小学校の女性教師が、特殊部落民であることを暴露され、

教職を追われ、夫からも離縁を言い渡され、自殺してしまいます。

本当に胸が痛くなりました。差別は、あってはならないことだと思います。

以下番組の紹介です。


その時:1922(大正11)年3月3日 午後1時
出来事:全国水平社創立大会が開かれる

この大会で日本最初の人権宣言とされる水平社宣言が発表された
「人の世に熱あれ、人間に光あれ」で知られ、日本最初の人権宣言とされる水平社宣言は、1922年京都・岡崎公会堂で開かれた全国水平社創立大会で読み上げられた。水平社宣言の起草者は、当時27歳で奈良県の被差別部落出身の西光万吉。西光は、差別から逃げ続ける青年時代を送っていたが、1918年シベリア出兵をきっかけとする米価高騰で極限まで追い詰められた部落の人びとが米騒動に参加、その後厳しく断罪されたことに衝撃を受け、部落差別撤廃に起ち上がることを決意する。
一方米騒動には政府も危機感を覚え、部落内外の融和を図る運動に力を入れるようになる。しかしその多くは部落の人々に生活態度の改善を求め、一般の人々の同情に頼ろうというものだった。これに対し、西光は被差別部落民の団結により差別撤廃を進めようと訴え、「人間は互いに尊敬すべきものである」という理念を掲げる。真の自由・平等とは何かを問いつめ、到達した普遍的な人権思想だった。そしてついに全国水平社の創立へと至る。こうして生まれた部落民自身による解放運動は、瞬く間に全国へと広がり、各地で部落差別撤廃に向けた活発な活動を行っていく。
その後、太平洋戦争下で活動の中断を余儀なくされた水平社運動は、戦後、部落解放運動に引き継がれるとともに、水平社宣言の精神は、幅広く人権問題に取り組む出発点となっている。番組では、日本における人権擁護運動の原点となった全国水平社結成のときを見つめる。

(NHK、「その時、歴史が動いた」HPより)

涙そうそう

涙そうそうとは、沖縄地方の方言で、「涙がこぼれて止まらない」という意味。

ビギンの曲に森山良子が歌詞をつけた大ヒット歌謡曲。

一説によると、涙そうそうは、森山良子が若くして亡くした弟を偲んで作った曲。

ある日、ビギンのコンサートで、この曲を聴いて、ある若い女性が感銘を受けた。

彼女の名は、夏川りみ。

夏川りみは、「この曲、ちょうだい」と言って、同じ沖縄出身のビギンから

涙そうそうを譲り受けた。そして、彼女が歌うと、爆発的な国民的大ヒットに。

それもそのはず、夏川りみは、一度、歌手になる夢をあきらめて、沖縄に帰っていた。

それから、再度、上京し、起死回生のこの曲でデビューを遂げる。

まさに夏川りみのデビュー前は、涙そうそうであった。

蛇足ですが、ぷーすけのカラオケの十八番でもあります。

いつも古いアルバムをめくっています。